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指定名称:大條家茶室 此君亭(おおえだけちゃしつ しくんてい)
種 別:有形文化財(建造物)
所 在 地 :宮城県亘理郡山元町坂元字舘下119番2
指 定 日 :平成14(2002)年8月26日
所 有 者 :山元町
大條家茶室は、江戸時代後期の天保3(1832)年、伊達家28代(仙台藩12代藩主) 伊達 斉邦(だて なりくに)が、家臣 大條 道直(おおえだ みちなお)に与えた茶室です。東西3間半、南北4間の規模で、南面に半間幅の庇が付く木造平屋建ての建造物で、平面は踏込床を設けた三畳台目、床と書院を備えた四畳半、一間半の床と一間の床脇を備えた十畳で構成されます。
伊達家から拝領した当時の茶室は、仙台川内にあった大條家の屋敷内にありましたが、明治維新後の明治 21 年(1888)年に 川内の大條屋敷用地が陸軍省用地として買い上げられたため、大條家の屋敷移転に併せて仙台支倉へ移築されました。その後、茶室は、昭和7(1932)年に大條家の居所・山元町坂元の「坂本要害(通称:蓑首城)」に再移築され、現在に至ります。
山元町指定文化財 大條家茶室 此君亭 (平成21年撮影)
大條家茶室については、建築様式から江戸時代末頃のものと推定されてきましたが、「伊達政宗が豊臣秀吉から拝領した茶室」という云われもあり、建物の年代を示す文字資料がなく、その真偽は不明でした。令和5(2023)年、町では茶室柱材の放射性炭素年代測定を実施したところ、茶室には「1700年代後半から1800年代初め頃」に伐採された木材が使用されていることが分かりました。この理化学的調査に基づく結果は、「天保3(1832)年伊達家から茶室拝領」という大條家の記録にも合致していることから、茶室の建築年代は、江戸時代後期と考えられます。
明治維新以後、仙台城の城下町にあたる仙台市中心部には「仙台城大手門」「藩校養賢堂」などをはじめとする仙台藩ゆかりの文化財建造物が数多く存在していました。しかし、昭和20(1945)年の仙台大空襲により、藩政時代の数々の建造物が焼失してしまいました。
大條家の茶室は空襲前に仙台から山元町に移築されたため、運よく戦火を免れることができ、現在は、江戸時代に仙台藩の上級武士層が所有した茶室の中で、唯一現存する貴重な茶室となりました。
山元町坂元に移築された当時の茶室(撮影時期 昭和7年以降)
大條家に残された写真帳の中に仙台支倉の大條邸にあったころの茶室の写真が残されています。
山元町に移築される前の様子を知ることができる貴重な記録です。
大正8(1919)年に撮影された茶室
明治期以降の支倉の大條家茶室に関する記載と平面図が示されています。
大條家18代 伊達宗康(だてむねやす)が初代宗行から自身の大條家の歴史についてまとめたもの。
この中に茶室拝領の記載が確認できます。
大條家茶室は令和6年2月から本格的な修復に着手しています。修復完了後は、町の貴重な文化財を積極的に公開するとともに、多くの方に利用していただけるような取り組みを予定しております。(修復工事の状況についてはこちら)